野球 1 [スポーツなど]
8月も最後の日となった。
ここのところ、野球に関わる仕事を続けてきたが、それも一段落というところだ。
野球との関わり始めは小学生まで遡ることになる。小学1年生だった頃、親の仕事の都合から越境通学だったのだが、通っていた小学校では、2年生からしか野球チームに入れてもらえなかった。
特別運動神経が良かったわけではないが、何かやってみたくて仕方なかったのが野球だったのである。
2年生になって地元の小学校に転校することとなったのだが、当時地元は大変閉鎖的な環境にあり、転校生というだけで、奇異な目で見られたものだ。加えて実家周辺は、野球チームを構成する子ども達とは隔絶した地域にあり、周囲の子たちは自分たちで空き地などで草野球をするという程度にとどまっていたのである。
今でこそ少子化の影響で野球チームはメンバー不足に悩んでいるところも多いが、当時は団塊ジュニアの子どもがひしめき合っていたいわゆる最後の受験戦争世代。野球チームでは子どもが余って仕方のない時代である。
小さな町の小さな区画ごとに微妙な勢力図が構成され、我々はいわば、その勢力図の圏外にあったために、チームを作るほどの子どももおらず、加えてその子どもをまとめようという奇特な大人もいない地域だったことから、長らく野球チームに所属することが叶わなかったのである。
さて、そんな草野球経歴も5年生になると少々状況が変わってくる。地元の有志がそれなりに体力をつけ、新チームを旗揚げすることになるのである。
もちろんその有志の一人としてチームの中核となるのだが、何せ経験値の少ない弱小チーム。2年間大した戦績も無いまま卒業となってしまうのであった。
しかしながら、自分たちで作ったチーム、初めてのユニフォーム、そして公式戦と、それまで夢のようであきらめていたことが現実のものとなった喜びは今でも忘れることがない。
当時は今ほど熱狂的に親が子供の野球の面倒をみるようなこともなく、組織としては甚だ脆弱だし、練習も素人丸出しだったのかもしれない。試合数も少なく本当に数えるほどしか公式戦の記憶がない。また、弱小と嘲りを受けたこともあった。
それでも、自分達のチームとしての誇りが当時はあったのか、チームの野球帽をかぶって学校に颯爽と通っていたこともまたいい思い出の一つである。
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