大坂城 豊臣時代① [大坂城 豊臣期]
とあるドラマで、モノづくりの面白さを子供に伝えるシーン。主人公が入院中の子供にお見舞いの際に城のプラモデルをあげると、子供は案の定「なんだこれ~。」というリアクション。主人公は「そんなこと言わずに作ってみろ。奥が深いぞ。」と切り返す。
ううむ。城のプラモデルは随分と昔に「大阪城」を作った記憶があるが、まともに着色もせず素組で終わり、いつしかどこかにしまいこんでしまったものだ。城プラモなどは当時は地味なスケールモデルでしかなかったようだ。
それでも、歴史的建造物は金閣寺に続き2つめであり、ディスプレイするにはそれなりに面白さがあった気がする。
さて、そんな城プラモ。奥が深いとはどういうことか?頭の片隅にこびりついていたものが、大河ドラマ「真田丸」を観ていた際に突如ムクムクと頭をもたげてきたのだ。
そう、劇中の大坂城は現在の「大阪城」に非ず、漆黒の天守なのである。豊臣期の大坂城が黒い城であったであろうことは随分前に見識を改めていたため驚きもしなかったが、昔作った大阪城ではなく、黒い大坂城を立体で見てみたい衝動に駆られてきたのである。
NHKでも豊臣大坂城は「黒」なら、そんなバージョンのキットも販売されているに違いないと思ってネットで調べてみるが・・・。無い。
あるのは、ファセット社から出ているペーパークラフトのみではないか!
このイメージなのですが、プラキットは何処のメーカーからも販売されていないのである。
ならば、かつて作ったプラキット、その色を白から黒へ変更すれば全てうまくいくと考え、早速簡単なリサーチをネットでしてみると、ふむふむ、簡単改造でそれっぽくなると細かな検証もせずにネットでキットを購入したのである。
しかし、この安易な考えが、後々泥沼へと足を踏み込むことになるのである。
某ショッピングサイトでサクッと購入したのが、童友社のJOYJOYコレクションなるコンパクトなキット。
完成後飾るにしても、大きなキットはスペースに困るということで、1/800ベース縦横17.5センチ×11.5センチと平面A5版に収まるサイズ。
到着後早速仮組をしてみる。
製作時間約10分。
うむ。なかなかバランスもよく、このまま色を白黒で金ピカ装飾で豊臣期大坂城の完成じゃないか。
ということで、早速ネットで詳細をよくよくく検証してみると・・・。
正解と呼べるものが無いようであるが、どう見てもキットと各種復元図は明らかに異なる。はじめは最下層に1階プラ版で足して、どこか削れば、辻褄が合うかなぁなどと考えていたが、そもそもバランスが崩れ、どうにもならない感じ。
元来怠惰な性分ゆえ、何とか最小限の改造でとネットを漁れば漁るほど、歴史的な検証による詳細が明らかになってしまい、このままでは、今の大阪城をただ黒くしただけのトンデモ大阪城が出来上がるのは目に見えている。それはどうしても避けたい。 自己満足の極みであるプラモデルで、出だしからいきなりの妥協は、もはや来る完成時のある種「敗北感」味わうこと必死なのである。
この葛藤が城郭模型泥沼への第一歩を踏み出すきっかけとなったことは言うまでもない。
やはり姫路城にしておくべきだったか・・・。
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