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流行るのか? MA-1 フライトジャケット風ナイロンジャケット [Life]

ショッピングモールを徘徊すると、この秋冬物で目を引くのが、伝説のアイテムMA-1フライトジャケットだ。

昨今のteensには「MA-1」が何モノなのかは見当が付きにくいだろうが、「earth music&ecology(アースミュージック&エコロジー)」のTVCMで、宮崎あおいさんと生瀬勝久さんが親子役で出演、二人のおそろいのジャケットが正にMA-1。

おじさんたちが、君たちくらいの頃に地方のオジイチャンも日常的に着ていたくらい爆発的に流行っていた、ナイロン製のミリタリージャケットだよ、と言えば、当時の破壊力は凡そ想像がつくかも知れない。

つまりは、今の40代~50代にとっては伝説のアイテムなのであり、あのCMは、観る者にそんな世代間の共感を垣間見させるものだったりもする。

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MA-1についての詳細は、このブログ「Buzz rickson's MA-1」で触れているので、関心のある方はどうぞご覧いただきたい。

さて、このジャケットがこの2016秋冬のイチオシのようなディスプレイなのであるが、とはいえ、機能性を重視した完全防寒用というよりは、中綿を抜いたり、薄めにしたりした「朝夕の冷えた時に、ちょっと一枚上に羽織る」といったタウンユースアイテム。値段も4,000円程度~という比較的お手軽なものだ。

2014年にも流行るのでは?と言われ不発気味だったが、今年はどうなのだろうか?

 

 



 



 


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社会性を持つ生物の脳の役割は、社会性を保つためにあるといえるのか。 [Life]

生物学的に社会性を持つ人間などの生物は、その生活を維持するためにコミュニケーションを司る脳が重要な役割を果たす。殊に人間についていえば、言語を主要なコミュニケーションツールとしているため、言語を司る脳は社会性を維持するためにも発達を続けるということになるのだろう。
裏を返せば、社会性の喪失は脳の役割が最低限の活動に縮小することを意味しており、結果寿命を縮めるということになるということになりそうだ。
ただ、人間に特有な創作などの活動を司るのもまた脳だとすると、社会との交わりを絶って創作活動に励むことは脳の活性化につながらないのだろうかとの疑問も残る。
常に変化する環境へ対応しなければならないコミュニケーション活動でなければならないということなのか。
社会とのつながりを保つにも、それが過度のストレスを与える場合はやはりマイナス要素になりえるということで、「快適な」社会とのつながりという条件がつきそうな気がするのである。

タグ:長寿 社会性
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恋愛相談 [Life]

いつの頃からか女性からの恋愛相談を受けるようになった。相談というよりは、話を聞く機会が増えたということになる。

まあ、それだけ年をとったということにもなるだろう(笑)。 

相談といえば聞こえはいいが、要は既に持っている回答に対する第三者的かつ男性視点からの意見を照合し、自らの言動の指針を確認するということなのだ。

相談するということ、話を聞いてもらうという行為自体を否定するものではない。感情を言葉にすることで、徐々に様々なことがより具体的になるし、時には客観視する契機ともなりうるのだ。

相談というくらいだから、大凡相手(彼)の言動についてどう解釈すべきかという類である。なるほど、それらの言動は女性には理解しがたいものなのだと再認識するのである。

大概そういった言動には裏があり、どこまで彼女達に伝えるべきかは相手の恋愛経験値により様々だ。

本音はこうであろうということを伝えても理解できないものは理解できず、先にふれたとおりある程度の答えを彼女たちなりに持っているからである。

そこを曲げてまで不快な思いをさせても詮無きことなのだ。すべからく正解などなく、結局は自分が一つ一つ経験を積むことで一人一人の答えに辿りつくのである。

その選択は自身にとって良い選択であったと常に思ってもらうことだけを祈るだけである。 


お盆 [Life]

ロンドンオリンピックも終了。日本代表選手の活躍に心躍らせた8月もいよいよ後半突入。

残暑が厳しいながらも、夏草の色も徐々に褪せ初め、秋の気配を感じつつある今日この頃である。

さて、この時期、お盆休みでの帰省からのUターンで、遠方へ行かれた方達はたいそうお疲れであろう。

先祖の御霊を家に迎え、親族が一堂に会するというものが「お盆」だ。理由もよくわからないまま、年に一回のこの行事をこなしてきたが、真相はいかにということでwikiを調べてみた。

日本古来の先祖崇拝と仏教の盂蘭盆会が融合した独特の年中行事で、中元や七夕などとも関係があるようだ。

送り火、盆提灯、灯篭流しなど、火や水といった精霊との結びつきを思わせる要素が、先祖の御霊を招き、また彼岸へといざなうと信じ、年に一度亡き人々との交流をしようという生きている者の想いがこういった習わしを今日に至らしめているのであろう。

少々残念なのは、この時期「怖い話」が盛り上がってしまうこと。真偽はともかく、生きる者のある種「うしろめたさ」が作り出す幻想も多いように思わるのである。

 


亡き友を偲ぶ [Life]

8年ほど前の6月、兄とも慕う友が逝った。今日のような雨と蒸し暑さの入れ替わる日に送ったことを、昨日のことのように覚えている。

ジャンケレヴィッチは、死を考える際、「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」を唱えた。

一人称の死は、私の死であり、ほとんど全ての人がその後のことを体験することなく人生終える。臨死体験などは、希少な例であっても、蘇るわけだから、本当の死とはいえない。そして、三人称の死は、誰かの死を指し、自分に近ければそれだけダメージは大きいが、多くはその喪失を何かしらの形ですぐに埋めてしまうものである。そして、二人称の死こそ、かけがえのないあなたの死であり、そのぽっかりと空いた心の隙間を埋めるまでに多くの時間を要するものである。

すなわち、死とは、残されたものが乗り越えるべき精神的な苦痛の一つであり、関係が深いほどその苦痛は大きいのだ。もっといえば、残されたもののエゴに他ならない。こんなに悲しい、こんなに辛い、どうしよう、といってもそれは、本人がどうにかしなければ、いかようにもしがたいものなのだ。

後にも先にも、これほど泣いたことはなかったろう。しかし、泣くことは感情の作用でしかなく、それによって救われたのは結局悲しみに暮れる自分自身でしかなかったのだ。誰のための涙かを問われれば、それは自分のための涙だったのだろう。

悲しければ、泣けばいい。ただそれだけのことではるのだが。。 

時の流れは一方通行で、一度過ぎれば、二度と戻ることはできない。ああすればよかった、こうしておけばなどというのは、残された者の後悔の念であり、そう考えることで喪失感を埋めようと試みるのであるが、せんなきことなのだ。

今日は、亡き友を偲ぶ日である。時の流れと共に薄れていく記憶を呼び戻す年に一回のこの日に過日の良き思い出だけを思い起こそう。

その日、あなたの分まで人生を楽しませてもらいますよと言った自分は、今日もその勝手な誓いを胸に酒を飲むのだ。

死など美化するものではない。また、蔑むものでもない。それは、生まれたときから約束された人生最後の儀式なのだ。

自分より早くその儀式を経て魂を解放して逝った「あなた」たちを思いだそう。そして、できることを精一杯やっていこう。

やがて来るその日、もし、あの世があるなら、「あなた」たちに「こんなことがあったよ」と沢山語り合うために。 


人柄?能力?運?決定的なものは? [Life]

仕事をしていて感じるのは、人には何かしらの役割があり、各々が個々の役割を果たしながら、形を作っていくものなのだということである。そして、その役割を果たす上で、人柄であったり、能力であったり、時にはその人の持っている運すら、仕事の成否を左右するのだ。

ここでいう運とは、結果が出たときに初めてその評価を得るという極めて不確実な要素を持つものだが、経験上持っている人は、やはりこの「運」を持っているようだ。

自分には実力があるのに、「運」がないと感じている人は、この「運」を持っている人について行くのも一つの方法かもしれない。そうすることで、自分の役割を果たせるケースもあるということだ。

自分の性格はどうも他人受けがしないようだ。そんなときは、人柄のよい人と一緒に行動することも良いだろう。自分に能力があると思うのであれば、やがて人柄以上のものを求める相手に必要とされるときが来るはずだ。

自分にないものを嘆くより、自分にないものを持つ人の力を借りることも、仕事を為す上で大切なことといえる。

これはあくまでもチームで動くということ、そのメンバーがつまらない上下関係で拘束されないということが、前提ではあるが。。 


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学校 [Life]

4月。
新学期、新年度の始まりである。
このタイミングに合わせてか、TBSではドラマ「ブラックボード」がオンエアされた。
3夜連続で見て、ちょっと感じたことなど。。

注)以下、ドラマの内容とはあまり関係がありません。

学校、特に先生に焦点を当てたこのドラマ。3夜連続で時代が背負ってきた学校の問題をテーマに考えさせられる内容だった。まあ、設定や細かい時代考証、演出など賛否の分かれるところではあろうが、ドラマとしての出来は良かったのではなかろうか?

時々学校の授業、学校そのものに何の意味があるのか?という疑問を持つ子どもたちもいるようだが、そもそも、こういう意味があるから、学校に行くという発想は少々さみしい感じがする。
そこに意味があるかどうかは、自分が決めることであり、今現在意味がなさそうなことも、いずれ意味を為すかもしれないという点を忘れないことが大切なのだと思う。

おそらく人生に無意味なことなど何一つないと思いたい。自分がそこ存在していることは、プラスであれ、マイナスであれ、必ず何らかの関係性を生み出すのだ。その関係性を生み出すことが苦手な人、得意な人様々だろう。

人との関わりを持つことは、楽しい面もあれば、面倒な面もある。面倒な面ばかりを気にすると、人づきあいが怖くなる。時に人を傷つけたり、自分が傷ついたりもする。しかし、一方で、それが人間性を高めていくことにもつながる。

ドラマの話に戻るが、3人の先生達には、芯があった。信念というべきか。
その信念故に、教師としての出世を諦めねばならないような境遇にもなるのだが、まあ、それも本望かもしれない。

問題を起こしてしまう先生、問題を起こしてしまう生徒、様々だろうが、その問題と言われる行動に果たして信念はあるのだろうか。問題問題と物事の表面だけをさらって、当事者にか分からない本質を見ない周囲の野次馬根性には、そろそろ飽きてもよさそうなものだが。。

まあ、いずれにしても新年度である。新しい人間関係が厭がおうにも生まれる人たちも沢山いることだろう(私も含めてだが)。少々面倒なことになりそうなときは、その関係性を作っている自分を振り返り、自分の芯が何処にあるのかを確かめたいものだ。
芯がまだ出来上がってないのなら、その芯ができるまで、現状でしっかりと力を蓄えたい。
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ダイエット? [Life]

生来、消化器系が弱く、食べても太らない体質で、先頃までは172cm、53kgと痩せ細っていたが、一昨年来患っている逆流性食道炎なる病気(?)のせいもあって、食事の時間などに気を配っていたところ、急激に体重が増え始めた。

しかも、恐ろしいことにお腹回り、腰回り、お尻というこれまで穿いていたジーンズを全て拒否するパーツに脂肪がまとわりつき始めたのだ。結果60kg近くまで体重は増え、数字だけならまだまだ問題ないはずが、痩せ型、腹ボテという醜い体形への第一歩を踏み出してしまっていた。

何よりも、食後のウエスト周りのきつさは、半端ではない。このままでは、逆流に拍車がかかってしまう。

さらに、最近のローライズのジーンズなどは、ベルト廻りの上に腹が乗りかかるという悲劇的な図が眼下に広がるのだ。

このままではいけないと、現在の状況を整理してみると。

体重は増えた。ウエストとヒップがやばい。ジーンズのみならず、スーツまで危険水域に達している。
食後に苦しくなるのは、贅肉がついたことにプラスして、腹筋が弱くなっている証だ。尻の肉は、垂れなければ問題ない。

などなどから、腹筋を強化することと、腹の贅肉を落とすことを目標に、EMS(電気で筋肉を鍛えるマシン)を腹に貼り付けてダイエット(?)を敢行することにした(値段は忘れたが、安いものだったような…)。

2月から毎日とはいかず、2日おきくらいに15分くらいづつ続けること約1カ月。体重はほぼ変化なしだが、腹のボテが解消されつつある。
これは、贅肉が減っているのではなく、腹筋が強化され、天然のガードルの役割を果たしているからだろう。
証拠に、腹の肉はまだつまめるが、ジーンズからのはみ出しは、著しく減った。

尻の肉については、日々のスクワットで徐々に引き締めたことで、弛みは現在もみられない。

初めは効果の程に疑問を持っていたが、継続は力なり、続けることで改善されることを実感した次第である。
何でもそうだが、きちんと続けることの大切さを改めて思い知った。肉体改造はなおさらだ。

今後も継続し、腹筋が割れることを目標にぴくぴくしたいと思うのであった。



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価値観 [Life]

価値観(かちかん)とは、

何が大事で何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系のこと。(引用:Wikipediaより)
英語= (one's) values; one's sense of values

とある。

コトバの問題ではあるが、多分に生き方を左右する要素であることを考え、Lifeのカテゴリーに分類した。

この価値観が、あるモノに向けられると、その人にとって、そのモノの善し悪しを決定する、重要なスケール(物差し)になり、それが、大多数の人が持つスケールに近ければ、一般的(もしくは常識)となり、遠ければ、変わり者(もしくは非常識)という形になっていく。

これは、時に逆の思考から自分のスケールを、敢えて一般的なところから遠ざけるケースもあり、そこには人と同じであることへの反抗的な(あるいは天の邪鬼的な)精神性をみることができる。

今更こんなことを考えるキッカケとなったのも、実は例のLevi'sショックからである。

私にとってジーンズは、好きなアイテムのひとつに過ぎず、Levi'sもまたそのひとつの選択肢でしかなかった。
しかし、あの「ジーンズといえばリーバイス」というフレーズのCM全盛期に多感な時期を過ごした私にとっては、やはり他とは違うブランドであり、「やっぱりここは、リーバイスだな」というこの一本は押さえておきたいブランドでもあったのである。

数多ある世のブランドジーンズがいくつ消失しても、3大ブランド(Levi's、Lee、Wrangler)のどの一角が欠けてもならないし、特にLevi'sにいたっては、その喪失感たるや、かなりのものになるはずである。
そう考えると、Levi's特に501が好きなことを再認識するのだ。

庶民でありながら、ちょっと頑張れば、手に入るといのが、Levi'sのジーンズの位置づけ。
関心のない人からしてみれば、ただのGパンだろうが、自分にとっては、絶対的な差別化を持つポケットのトレードマーク。中でもこの時代にあって非合理極まりないボタンフライモデルの501は、他のモデルがどうあれLevi'sブランドの象徴的な一本なのである。

生き方や人生といった深い価値観とは異なり、極めて矮小なものかもしれないが、そんなことに入れ込める状態であることは、とても幸せなことでもある。

今暫くは、このつまらない価値観で楽しんでみたいと思う。

幸福について 人生論 ショーペンハウアー [Life]

2月29日放送のWBS「スミスの部屋」に著作「ぬるい毒」で33回野間文芸新人賞作家 本谷有希子さんが登場していた。
残念ながら、こちらの作品は未だ拝読していないが、本谷さんが番組で「ショーペンハウアーの人生論」について語っていらっしゃった。

他人の好きな本には、基本的に関心は持たないのだが、同著は私も数年前に途中まで読んでみた経緯もあり、ふとその内容に興味をもったのである。
なんとなく当時読み流していたこの本であるが、本谷さんは大変深い感銘を受けられ、座右の著とされているようで、才ある人と凡人との差を感じた次第である。

さて、肝心の内容だが、「幸福は人間最大の迷妄」という一点に凝縮されているといえよう。
「こうすること、こうなることが幸せだ」だから、自分は「幸せになりたい」という願望なり、欲望なりが、「そうではない自分」を「不幸」たらしめているという考えであろう。

仏教観でいうところの「執着」による「不幸」のようなものだろうか。

私は哲学者でもなく、宗教家でもなく、ましてや信仰を捧げる信者でもないが、これまでの人生の中で「固執」することほど、むなしかったり、辛かったりすることはないということは、何となくではあるが理解しているつもりだ。

とはいえ、全ての欲を捨て去り、楽になろうとも思わない。分かっているのに止めないのは「愚」であろうか?

いや、そうではない。きっと物欲なり、性欲なり、食欲なりを満たすために這いずり回り、時に叶わなかったときに、それを「不幸」と捉えるか、「馬鹿だったなぁ」と笑い飛ばせるかの違いなのだと考える。

生き方は「幸福か不幸か」で捉えるよりも、「面白いか、つまらないか」で捉える方が好きである。
ならば、やはり「幸福」とは「迷妄」なのであろう。
それとも、そもそも比較することが無理なのか。。




ぬるい毒

ぬるい毒

  • 作者: 本谷 有希子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06
  • メディア: ハードカバー



幸福について―人生論 (新潮文庫)

幸福について―人生論 (新潮文庫)

  • 作者: ショーペンハウアー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1958/10
  • メディア: 文庫



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