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ノロウイルス 撃退 [随筆]

ノロウイルスが猛威を奮っている。

各メディアでも注意を促しているが、意外だったのがアルコール消毒がほとんど効果がないということだ。

外出先でも施設内いたるところに設置されているものの、それらはこのウイルスには効かないとは。

有効なのは手洗いだが、石鹸をつけた状態で30秒以上洗わねばならないとなると、野外などこの時期給湯設備の無い洗面所では相当しんどい。また、水洗トイレなどでも便を流したときの目に見えない飛沫などが床に飛び散ってしまうと下履きやスリッパなどに付着して拡散するというから手洗いを徹底しても油断できないそうだ。

最も効果が期待できるものは、キッチンハイターなど塩素系の消毒液らしいが、攻撃性が強く肌や金属、衣類へ影響を及ぼすし、臭いもキツイ。

そこで注目されているのが、「次亜塩素酸ナトリウム」という物質だ。インフルエンザなども流行りつつあるこの時期、ノロにまでやられては身が持たないということで、早速購入してみた。

それが、「ウィルバス200」だ。 

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このウィルバス200は食品添加物殺菌科というもので、食材に直接かけても安心という優れモノ。万一、ミストが目や口には入っても心配いらないとのこと。

s-DCIM0410.jpg 

何かと用途が限られるアルコールよりも使い勝手がよさそうだ。小さいスプレーに入れて携帯するのもよいだろう。

抵抗力のない子供や高齢者や大人でも体力が衰えているときなど感染しやすくなるそうなので、こういった予防策も積極的に取り入れたい。 

ウィルバス500mlスプレーボトル

ウィルバス500mlスプレーボトル

  • 出版社/メーカー: クレスト
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品

 

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面白くない上に苦情まで寄せられてしまうとは・・・。 [随筆]

航空会社としての好き嫌いは別として、たいして面白くもないし、センスも感じられないCMに「人種差別か!」とまでクレームを入れられてしまうとは。
日本人のイメージを変える⇒「金髪+高い鼻」⇒違うだろ という"落ち"なのかもしれないが、残念ながら外国の方にご理解いただけないばかりか、日本人の私にも何が面白いのか分からない。残念!
最近流行りのシリーズCMの流れで続編があって、それらが繋がって初めて面白さが生まれる類のものかもしれないが、それなら早々に続編をリリースすべきかもしれないね。
しかし、ここのところ秀作CMめっきり減った気がするなぁ。印象に残らないのは歳のせいか? 

タグ:CM
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クリスマス・イブ [随筆]

今宵12月24日の夜は今も昔も変わらず、ここ日本でもクリスマス・イブとして独特の盛り上がりを見せている。

一部の敬虔なクリスチャンを除いて、誰もがキリスト降誕の日に思いを寄せることなく、この年中行事を楽しんでいるかのようだ。

子供たちにとっては誕生日以来プレゼントがもらえる日であり、恋人たちにとっては”愛”を分かち合う、家族にとっては団欒を楽しむ良き日といえるだどう。無論独身者にとっても、この日を口実に酒を酌み交わすある意味幸せな時間といえる。

年末とあって、望むことなく仕事に忙殺される諸兄にとっても何かしら考えることの多い一日だといえる。

心ならずもいつもとは違う一日を過ごさざるをえない人たちも多くいることだろう。

今現在の自らの環境を見つめ直した時、その境遇のあり様を真摯に受け止め、次の一歩に進むことが人として正しい生き方なら、それがたとえ偏ったクリスマスの過ごし方だとしても、大きな意味で捉えれば、それもまた”神の思し召し”なのかもしれない。

商業ベースのお祭りに踊らされているようだが、実のところそれは表面的な現象であって、本質はもう少しまっとうなところに根ざしているようにも思える。

宗教は哲学である。そう考えることで、生き方の本質を見失うことなく過ごすことができるのではないか。

はたして高価なプレゼントがもらった人の心をつかむのか。今この瞬間いる隣人は本当に自分にとってこれから幸せを分かち合うにふさわしい人なのか。今の自らの境遇は・・・。

翌25日を過ぎれば全ては過去のものとなり、何の未練もなく新年の準備へとカウントダウンが始まる。元旦は皆が寺や神社へと向かうのだ。

2013年も残すところあと数日。この歳になると、年の瀬を迎え慌ただしくなっているが、聖なる夜を静かに過ごすのも、また一興である。

 

 


タグ:クリスマス
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過去最高の解像度の「かに星雲」 [随筆]

「かに星雲」は地球から約7,000光年にあるおうし座に位置する超新星の残骸だそうだ。この超新星は1054年に出現した記録が日本、中国に残っているとのことである。
何光年といわれてもピンとこないし、光の速さで7000年といわれても、やはり漠然としている。この光は7000年前のもので、今現在どうなっているかは7000年後に分かるという気が遠くなる話である。
 宇宙の「果て」は何処にあるのか。3次元的な思考では解決できないらしい。例えるなら球面上を一周すると元に戻り始点が終点になることに等しいとか等しくないとか。10次元とか多次元的な考え方が求められるらしい。
また、宇宙が一つであるという思考も誤りで、幾つもの宇宙が存在しているとも言われている。 
その答えを導き出したところに何があるかは分からないが、答えが出ることで7000年前の光ではなく、今現在の姿を捉えるヒントにつながるのも知れない、などと勝手に思うこの頃である。
 

タグ:かに星雲
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昭和歌謡 なぜ今・・・。 [随筆]

カラオケに行くと必ず70年代~90年代中心になってしまう。同行する若者たちに知っているかどうか尋ねると、親世代が聴いている、もしくは歌っているとのことで意外にも知っているケースが多い。そんなことも手伝ってか調子づいてよく歌うのだが、自分でも不思議なくらい覚えているものだ。

そんなカラオケ話はさておき、音楽のデジタル化がもたらしたのは再生機器の小型化だけではなく、その情報伝搬力の広さだろう。特にYoutubeによる情報提供量はサイト出現の前後で全く異なる。

あの時代の、あの歌手の、あの歌・・・ということで探していくと音のみならず当時の映像も見られるというのだから驚きだ。

時代は平成になり既に25年が過ぎようとしている。昭和最後の誕生日の世代も30代が見えてきたところだ。平成がこなれてくるとそれ以前は戦後昭和と戦前昭和という大きなくくりで大別され、現在と過去を比較する際振り返って昭和何々とい際には大抵戦後昭和を指すことが多いように思える。

もちろん社会・経済・ファッションなどジャンルに因ってその区分は様々だろうが、ここのところ「昭和歌謡」という言葉を耳にすることが多くなったため、なるほど歌のジャンルもそういった時代の境目を付けるほど特徴が変化したのだと感じたのである。

たしかにかつて「歌手」すなわち「ボーカリスト」は歌うことに特化した正に「歌い手」であった。歌い手に楽曲を提供するのが「作詞家」であり「作曲家」で、「バックバンド」「コーラス」が彼らを支えていた完全分業制が多数派だったようだ。もちろん、シンガーソングライター、バンド、というジャンルもあったが、シンガーソングライターの多くは「歌手」に楽曲を提供していた作り手でもあったし、バンドは必ずしも長命とはいえず伝説的な存在も多かった。

そのような分析は専門家に任せるとして、最近は「記憶に残る楽曲」が少ないということだ。正直喰わず嫌いなのかとも思ったが、どうも違うようだ。 記憶に残らないというより、あまりに膨大な楽曲が短期間にリリースされるがゆえに記憶に残るほど沢山耳に触れないということなのだろうか。

これほどまでデジタル化が進む前は、オーディオは高価で、レンタルレコードというシステムから分かるように音源が限られていた上、ラジオかテレビの歌番組くらいしか聴くことができないという楽曲に親しむ環境が整っていなかったことも当時ヒット曲と呼ばれた誰もが知っている楽曲を生み出す土壌であったといえよう。いいかえれば、曲単価が高かったともいえる。

かくいう私もそんな限られた楽曲しか触れることのできなかった「歌謡曲難民」といえよう。「ベストテン」をはじめとする歌番組が主な情報ソースだった今の40代は決して少数ではないはずだ。

そんな40代が懐かしんで聴く楽曲とそれを新しいと感じる若い世代との支持を得て「昭和歌謡」は今のJPOPとは異なる輝きを放っているのではないだろうか。

気持ち良く一曲歌いたい。 

 

 

 


タグ:昭和歌謡
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ブログはじめました [随筆]

このソネットブログに初めて投稿したのが、2006年7月8日。

かれこれ6年と5カ月が経った。

当初どんなことを書くかなど思いを巡らせつつ、何も書けずに放置していたが、昨年思い立ってマメに投稿するようにしてみた。

最近では、忙しさにかまけ投稿数もめっきり減ったが、豆宣言をしたのが、2012年2月20日だったので、なんとか1年間断続的に記事を書くことができた。

気がつけばPV数も5万目前というところだ。

度々疑問視してきたfacebookは完全に放置。正直今の自分には合わない。いずれ必要となるかもしれないが。。。

では何故ブログは続いているのか考えてみた。

もともと映画の備忘録的に始めたこともあるが、暫しデニムという”素材(ネタ)”が面白かったことにもあるだろう。

現在そのカテゴリで更新頻度がほとんどないのは、変化が少ないからに他ならない。日々スーツで過ごすことが多いとあってはせっかくのコレクションも週数回の出番を待つのみだ。しかも穿きこむほどにバリエーションを楽しめないというジレンマに陥っていることも事実である。

他のデニム系ブログを拝見しても、相当のツワモノでない限り、どこかでこのネタは終わりを告げているようだ。

なんにせよ投稿する”ネタ”があれば続くし、なければ途絶えるというスタンスが良かったのかもしれない。

 


マグロ ¥1億5000万 [随筆]


2013年が5日目を迎え、今年もあと360日となった。

マグロの初競りが行われ、200kg近い大間のマグロが1億5000万円の値をつけたそうだ。

年明け早々から株価は震災以前の水準へと戻り、円安も進んでいるようで、衆議院選挙以来景気の良い話で年の初めを迎えたようだ。

今年の正月は昨日4日(金)に仕事始めかどうかで休みの取り方もずいぶん違うようである。

さて、そんな訳で今年の正月は4日が休みとなったので、久しぶりにのんびりと過ごさせていただいたが、年末「カニ」を購入するかどうかで大変悩んだ。

我が家はマグロ派ではなく、カニ派なのだ。

しかしながら、昨年末ロシアのカニ漁事情に異変がありカニがずいぶんと値上がりしたことに悩みの原因があったのだ。

せこい話だが、お年玉を配らねばならないため、年賀として実家に持参する「カニ」はお買い得を探さねばならないのである。

狙い目は「たらばガニ」によく似た「あぶらガニ」だ。モノによるが、キロ当たり2,000円は安い。

幸運にも年末西友のチラシに「あぶらガニ」特売情報を発見し、今年の正月もカニをお安く楽しむことができた。

マグロ、カニ、うなぎ・・・。毎年のように海産物の価格上昇のニュースを耳にするようになった。数10年前数の子の価格が急騰したことを思い出す。

いずれも食べなくとも命に関わるものではないが、「ハレ」の日に食したいのは、そうすることができる自らの境遇に満足したいからなのだろう。

年に数回のちょっとした贅沢。その現状に感謝しつつ新たな年を迎えた次第である。

 


ダイヤモンドの惑星と生命あるの惑星どちらが珍しい? [随筆]

宇宙という壮大なレベルでみれば、おそらく生命のある惑星の方がよほど稀有な存在なのかもしれませんね。
そして、ダイヤモンドに価値を見出す存在、すなわち人類そのもが、奇跡の何ものでもないのでしょう。 

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有吉&マツコの怒り新党 について [随筆]

怒り新党、毎週楽しく視聴させていただいている。

世間でもそこそこウケは良いようだ。

番組への評価はさておき、どうも最近気がついたのは、この怒りの投稿に一定の傾向があることだ。

まず、「自分とは違う価値観を押しつけられる」ことに対する怒り。次に「価値観を持たない奴に自分の価値観を評価されたり、否定されたりする」ことに対する怒り。最後は「標準化された本当は標準でもなんでもないこと」に対する怒りの3タイプであろう。

一つ目は確かに鬱陶しく感じるが、その許容範囲には個人差が見られる。二つ目は、いわゆる「お前に言われたくない」という類で、三つ目は自分が世間一般の標準に納得できないというものになろう。

 多様化が進めば、それぞれがそれぞれの価値観を持って当然であり、それぞれの主義主張、趣味趣向というものがあろう。

ある意味それらはまだ怒りのレベルとしては些細なことと捉えられえるようになりたいものだ。

日常的にムカつくことは多々あろうが、本当の怒りの矛先はもっと別の方向に向けるべきであり、自分が本当に怒ったとき何が変わるかよくよく考えてみるとよいかもしれない。

後腐れのないように何の未練もなく人間関係をぶち壊すには、最高のツールかもしれないが、得てして怒りの果てにはあまりプラスのことがないように思われるのは、歳のせいか。。。 


気付けば2万アクセス [随筆]

さて、半年ほど前から続けてきたこのblogも、2万件のアクセスをいただくに至った。

期待を裏切った数も相当数に及ぶことを考えると、喜んでばかりもいられないが、まあ、よく今日まで続いたものだ。

Facebookは既にほぼ放置だが、blogが続くのは、その匿名性によるところが大きい。Facebookは確かに現実の知人、友人なのだが、残念ながら欲しい情報や本当にイイネと共感できるところが少ない。

そこで連想するのが、テレビの無難&鉄板と言われている番組だ。グルメ、子供、動物、そして旅である。

それらはいずれも可もなく不可もなくという、いわゆる誰もが「受け入れ易い」ネタであって、言い方は良くないが偏りのない無難なものなのだ。

そんなにもリアルタイムで「自分」を発信したい理由は何だろうか?今何処にいるかをそんなに知ってほしいのか?もしくは、今は知ってほしいからなのか?

今日もまた友達申請を受けるfacebook。来るもの拒まずの精神で承諾するのではあるが、個を殺して仕事に挑まねばならない今、使い方に少々迷いがあることが、放置の要因なのであろう。

既に用途が確立されつつあるblogと、発展途上にあるfacebook。しばらくはblog派としてネット上に情報を垂れ流すことになるのである。

 

 

 


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