大坂城 豊臣時代④ [大坂城 豊臣期]
いよいよ塗装となるが、その前に土台の整備をする。
スチロールや石垣の継ぎ目や隙間を100均で購入のファンドで埋め、地面をモデリングペーストなるものでペタペタと塗る。モデリングペーストはそのままだと割れたりするということで、マットメディウムなるものを混ぜて使用する。
そうすることで、これまでつるつるだったプラ石垣やスチレン石垣などの表面がざらつき気味になってそれっぽくなる。
と、テキストにすると数行だが、ジオラマ制作やら、城制作のネット情報を漁りつつ、よさそうなものをチョイスしながらの作業は数日に及んだ。
かつてジオラマ土台制作には壁補修材「ドフィックス」が使われていた記憶があったが、最近では画材のモデリングペーストが主流のようだ。
うっかり写真を撮り損ねたが、乾燥後やはり100均で購入したアクリルガッシュ(艶消し水性系塗料)を使って塗ってみた。
石垣はグレー系と思っていたが、近年発掘された豊臣時代の石垣は少々茶系っぽい感じがしたので、茶をメインに塗ったら、レンガになってしまった。。。これじゃチョコレートケーキだな。落ち着いたらやり直しね。
石垣が定まらないまま、乾燥時間ももったいないと天守の塗装に着手。
最上階と四層目。高欄も0.3㎜プラ棒で追加してみる。最近の100均は金色なんかもあってスゴイネ。とはいえ、基本色しかないので、瓦は黒・白・パール白のダークグレーで調合。調合のメリットは好きな色が作れることだが、レシピ作っているわけではなく感覚でいってしまうと再現が難しいデメリットがある。
それはさておき、当初青銅緑色の瓦かと思いきや、どうも違うようなので、個人的に好みな光が当たると銀、暗いとほぼ黒鉄色というダークグレー&パールで塗りつぶした。 その後艶消し黒や金やらを駆使して塗が。
が、粗い。ドアップに耐えられないクオリティ。高欄の柱曲がってないか??乱視、老眼、手の震えとの闘いではこれが限界なのか!?どうする?やはりこのスケールで、この瓦のピッチ。無茶して垂木まで再現
したものの、0.何ミリの世界は尋常ならぬ集中力も必要。うーん。
大坂城 豊臣時代③ [大坂城 豊臣期]
豊臣時代の大坂城製作。
全体が何となく整いつつあるので、4層目の破風を取り付けて、バランスを見てみる。
ふーん、良い感じになりつつある。
スペースを埋めるのに植樹も考えたが、天守の大きさを際立たせるには、やはり対象物として建物がよかろうと、プラ版を切り貼ること数日・・・。
実際の構造物とは異なるが、ここは雰囲気重視で自分的にそれらしいのを正にでっちあげた。
この辺りは図面が残っているらしく正確に作ることは可能なようだが、そこに注力する気力もなく、ふわっと作り上げる。
ということで、拡張工事。
100均で買ったA5のフレームにわずかに残ったスチロール版を切り貼りして土地を広げ、斜めに天守台をレイアウトする。ここで気が付くべきだったが、キットの天守台の殆どが埋没・・・。
これくらい残すなら、全部作ればよかった。
いよいよ次は塗装だ。
大坂城 豊臣時代② [大坂城 豊臣期]
豊臣時代の大坂城の製作。まずは簡単に作業できないかいじくりまわしてみる。
何か足りない。
うーん。
なんとなくよさそうなので、天守台の改造に入ることにする。
豊臣時代の天守台は本丸の角にあるらしいということで、
一層目をプラ版で作成、石垣をスチレンボードで作りつつの最上階をやや伸ばして
プラ版で自作したが・・・。不細工すぎる。
もう少し大胆にやらねばこれは救いようがないということで、
切り貼りを繰り返すこと数回。土台もキットを切り捨て、根本的に作り直す。
一層目の屋根も苦しみながらなんとかプラ版で自作。
微修正は必要だが、何となくイメージに近づきつつある。気が付くとオリジナルのパーツがほとんどないではないか。
こんなはずではなかったが、もはや後には引けない。果たしてゴールはいつになるのだろう。
大坂城 豊臣時代① [大坂城 豊臣期]
とあるドラマで、モノづくりの面白さを子供に伝えるシーン。主人公が入院中の子供にお見舞いの際に城のプラモデルをあげると、子供は案の定「なんだこれ~。」というリアクション。主人公は「そんなこと言わずに作ってみろ。奥が深いぞ。」と切り返す。
ううむ。城のプラモデルは随分と昔に「大阪城」を作った記憶があるが、まともに着色もせず素組で終わり、いつしかどこかにしまいこんでしまったものだ。城プラモなどは当時は地味なスケールモデルでしかなかったようだ。
それでも、歴史的建造物は金閣寺に続き2つめであり、ディスプレイするにはそれなりに面白さがあった気がする。
さて、そんな城プラモ。奥が深いとはどういうことか?頭の片隅にこびりついていたものが、大河ドラマ「真田丸」を観ていた際に突如ムクムクと頭をもたげてきたのだ。
そう、劇中の大坂城は現在の「大阪城」に非ず、漆黒の天守なのである。豊臣期の大坂城が黒い城であったであろうことは随分前に見識を改めていたため驚きもしなかったが、昔作った大阪城ではなく、黒い大坂城を立体で見てみたい衝動に駆られてきたのである。
NHKでも豊臣大坂城は「黒」なら、そんなバージョンのキットも販売されているに違いないと思ってネットで調べてみるが・・・。無い。
あるのは、ファセット社から出ているペーパークラフトのみではないか!
このイメージなのですが、プラキットは何処のメーカーからも販売されていないのである。
ならば、かつて作ったプラキット、その色を白から黒へ変更すれば全てうまくいくと考え、早速簡単なリサーチをネットでしてみると、ふむふむ、簡単改造でそれっぽくなると細かな検証もせずにネットでキットを購入したのである。
しかし、この安易な考えが、後々泥沼へと足を踏み込むことになるのである。
某ショッピングサイトでサクッと購入したのが、童友社のJOYJOYコレクションなるコンパクトなキット。
完成後飾るにしても、大きなキットはスペースに困るということで、1/800ベース縦横17.5センチ×11.5センチと平面A5版に収まるサイズ。
到着後早速仮組をしてみる。
製作時間約10分。
うむ。なかなかバランスもよく、このまま色を白黒で金ピカ装飾で豊臣期大坂城の完成じゃないか。
ということで、早速ネットで詳細をよくよくく検証してみると・・・。
正解と呼べるものが無いようであるが、どう見てもキットと各種復元図は明らかに異なる。はじめは最下層に1階プラ版で足して、どこか削れば、辻褄が合うかなぁなどと考えていたが、そもそもバランスが崩れ、どうにもならない感じ。
元来怠惰な性分ゆえ、何とか最小限の改造でとネットを漁れば漁るほど、歴史的な検証による詳細が明らかになってしまい、このままでは、今の大阪城をただ黒くしただけのトンデモ大阪城が出来上がるのは目に見えている。それはどうしても避けたい。 自己満足の極みであるプラモデルで、出だしからいきなりの妥協は、もはや来る完成時のある種「敗北感」味わうこと必死なのである。
この葛藤が城郭模型泥沼への第一歩を踏み出すきっかけとなったことは言うまでもない。
やはり姫路城にしておくべきだったか・・・。